Chris Klung.
(病気による死の恐怖を乗り越え、五輪で銅メダルを獲得した男)

ドナー(臓器提供者)は銃で頭を撃たれた13歳の少年。
「人生最高の日だ」と喜んだクルーグは、少年とその家族に感謝の言葉をささげた。
生きようと懸命に努力する姿勢は、移植を待つ人たちに勇気と希望をもたらした。
 「1年半前は死ぬかと思っていた。それなのにメダルを取れるなんて…」。
感動のドラマがパークシティー・スキー場を舞台に、展開された。
予選を11位で通過したクルーグは、決勝トーナメント1回戦をわずか0・05秒差の辛勝。
準々決勝、3位決定戦とも、1回目は相手にリードされた。しかし、決してあきらめずに逆転。
自身の生き方そのもののレースだった。「奇跡だ」。この言葉を何度も口にした。

 00年7月末、コロラド州アスペンにある病院の手術室で、死の恐怖と闘っていた。
98年長野五輪大回転で6位入賞。そのころから、病魔に襲われていた。
硬化性胆管炎、1万人に1人という深刻な肝臓病。
00年5月、症状が悪化し、移植リストに名を連ねた。なかなか順番が回ってこない。焦燥感が募る。
ようやく順番がきたのは2カ月あまり、たってからだった。

 クルーグを救ったのはデンバーに住む13歳の少年だった。銃で頭を撃たれ、脳死状態になった。
少年の両親がドナーになることを承諾。手術は成功し、絶望のふちからよみがえった。
「臓器を提供していただいた家族に感謝します」。その冬からW杯に復帰。
今季序盤は不調で、五輪代表の座が危ぶまれたが、少年の死をむだにはできない。
「何度もあきらめかけた。でも、まだ終わっていない」と気持ちを奮い立たせた。

 移植を待っている人たちは8万人を超えるという。「彼らに生きる希望を与えられたと思う」。
クルーグの銅メダルは、米国にとって冬季五輪史上最多となる14個目でもあった。

以上引用 ヘビースノーカー



新聞広告はもっと違う切り口だった。
手術後初めて山に行き、ボードを履いた時
感動のあまり半日ほどそのまま山の景色に見入ってしまった。
少年に感謝しつつスロープを下る一歩を踏み出す。
というような内容。
日常の中に戻っていけるその喜びを大きく感じた


風景に見入ってしまうときってあるよね。
唯単純に美しさに惹かれるとき

不安なときや 悲しいとき
もろもろの全てがぶっ飛んで
一瞬、それを完全に忘れてしまえるほどの、
素晴らしいものが見えるときが在るんだ。
時々ね。 そんなプレゼントもある。
雪山には。

ボードを辞められない理由のひとつにはなるかな。
十分に。